なぜドはドーナツ?ペギー葉山『ドレミの歌』誕生秘話と知られざる真実
世代を超えて誰もが口ずさんできた名曲『ドレミの歌』。「ドはドーナツのド、レはレモンのレ」という親しみやすいフレーズは、日本の音楽教育や家庭の日常風景に深く溶け込んでいます。しかし、この親しみ深い日本語歌詞が、名歌手・ペギー葉山さんの手による卓越した「訳詞」であり、そこには知られざる苦心と奇跡的なひらめきが秘められていた事実を知る人は意外に少ないかもしれません。
名作ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中歌が、なぜ海を越えて日本でこれほど独自の進化を遂げたのか。原曲の英語詞との決定的な違いから、「ドはドーナツ」や「ファはファイト」というフレーズが導き出された背景、そして今なお音楽関係者の間で語り継がれる「印税ゼロ」の真相まで、綿密な取材記録と当時の証言をもとに徹底解明します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「ドはドーナツ」の着想は、ペギー葉山さんが創作に悩む中で目にした「日常のおやつ」と「丸い穴の視覚的記憶」から生まれた。
- 要点2:原曲の英語詞(Doe=雌鹿など)をあえて直訳せず、子どもが直感的にイメージできる言葉へ大胆に再構築したことが国民的定着の決め手となった。
- 要点3:ブロードウェイの厳しい契約慣例により作詞印税は入らなかったものの、損得を超えて子どもたちへ音楽の喜びを届けた功績は現在も高く評価されている。
【誕生秘話】なぜ「ドはドーナツ」なのか?ペギー葉山が導き出した決定的な理由
日本全国の幼稚園や小学校で歌い継がれている『ドレミの歌』。その冒頭を飾る「ドはドーナツのド」というフレーズは、どのようにして生まれたのでしょうか。当時の回想録やテレビ特番での証言によると、この着想の背景には、ペギー葉山さんが直面した「言葉とメロディの格闘」がありました。
1960年、ロサンゼルスで本場のブロードウェイ・ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞したペギー葉山さんは、劇中でマリア先生と子どもたちが歌う『Do-Re-Mi』に強い衝撃を受けました。「こんなにも楽しく音階を学べる歌があるのか。日本の子どもたちにもぜひ歌ってほしい」。強い使命感を抱いた彼女は、自らの手で日本語の歌詞をつける決意を固めます。
しかし、ペンを執った彼女の前に立ちはだかったのは、日本語の音数と発音の壁でした。「ド」で始まる子ども向けの言葉を探し求め、何日も頭を抱えていたある午後、ふとおやつとして目の前に出されたのが「揚げたてのドーナツ」でした。ペギー葉山さんは生前のインタビューで、その瞬間のひらめきを次のように振り返っています。
「ドーナツのまんなかには穴が空いているでしょう。その穴を覗き込んだとき、子どもの頃に見た青空や、おやつを待つわくわくした気持ちが一気に蘇ってきたんです。『ドはドーナツ! これなら子どもたちが絶対に笑顔になる』と確信しました」
単に頭文字が合致するだけでなく、「子どもが大好きな食べ物」「丸い愛らしい形状」「家族のだんらん」という幸福な情景を想起させる言葉として、ドーナツはまさに運命的な選択だったのです。

原曲『サウンド・オブ・ミュージック』との決定的な違い|雌鹿からドーナツへの超絶訳詞
ペギー葉山さんの訳詞が優れている最大の理由は、原曲の直訳を完全に捨て去り、文化的な再解釈を行った点にあります。作詞者オスカー・ハマースタイン2世と作曲者リチャード・ロジャースによる原曲の英語詞は、英語特有の同音異義語(パン)を駆使した言葉遊びで構成されていました。
もし原曲をそのまま日本語に直訳していたら、日本の教育現場でこれほど定着することは決してなかったでしょう。その違いを詳細に比較すると、彼女が施した言語的工夫の凄みが浮き彫りになります。
| 音階 | 原曲の英語詞(意味) | ペギー葉山の日本語訳詞 | 教育的・心理的アプローチの差 |
|---|---|---|---|
| ド (Do) | Doe(雌鹿) | ドーナツ | 動物の生態よりも、子どもに身近な食の喜びを優先 |
| レ (Re) | Ray(一筋の太陽光) | レモン | 抽象的な光の概念を、鮮烈な黄色と酸味の味覚へ変換 |
| ミ (Mi) | Me(私自身を呼ぶ名前) | みんな | 個人主義的な「私」から、集団で声を合わせる連帯感へ昇華 |
| ファ (Fa) | Far(遠い道のり) | ファイト | 距離の描写から、内発的なやる気を引き出す応援歌へ変換 |
| ソ (So) | Sew(針と糸で縫う) | あおいそら | 家事の所作から、視線が一気に上を向く開放的な風景へ昇華 |
| ラ (La) | La(ソの次に続く音) | ラッパ | 記号的説明から、音が響き渡る具体的な楽器の想起へ |
| シ (Ti) | Tea(ジャムとパンと紅茶) | しあわせ | 午後のティータイムから、全音階を締めくくる精神的充足へ |
原曲の英語詞は「Doe(ドゥ=鹿)」と音階の「Do」の響きをかけた言葉遊びですが、日本語で「ドは小鹿のド」と歌っても語呂が合わず、幼い子どもには響きません。ペギー葉山さんは、子どもたちが五感(味覚・視覚・聴覚・連帯感)で捉えられる言葉だけを厳選して歌詞を再構築したのです。
「ファはファイト」に込められた祈り|昭和30年代の時代背景と創作苦心談
全音階の中で、ペギー葉山さんが最も頭を悩ませたのが「ファ」の音でした。日本語の語彙において「ファ」から始まる身近な名詞は極めて少なく、辞書を何十ページめくっても子どもが喜ぶ言葉は見つかりませんでした。
当時、候補として「ファン(扇風機や熱狂者)」や「ファッション」といった外来語も検討されましたが、昭和30年代半ばの子どもの生活実態には合致しません。締め切りが迫るなか、彼女が最後にたどり着いたのが「ファイト」という前向きな外来語でした。
戦後復興を遂げ、前を向いて未来へ進もうとしていた昭和の日本。ペギー葉山さんは「子どもたちが挫けそうなとき、元気を出して立ち上がってほしい」という切なる願いを込めました。「ファはファイトのファ」という一節には、単なる音合わせを超えた、当時の子どもたちへの温かいエールが宿っていたのです。
この情熱が実を結び、1962年(昭和37年)6月、NHKの音楽番組『みんなのうた』でペギー葉山さんの歌唱による『ドレミの歌』が初放送されます。アニメーションとともに流れたこの曲は、放送直後から全国の教育関係者や母親たちの間で爆発的な反響を呼び、瞬く間に文部省(当時)推薦曲として音楽教科書への掲載が進んでいきました。

一般に知られていない盲点とネットの誤解|「印税ゼロ」の真相と著作権の壁
これほど歴史的なメガヒットとなり、60年以上にわたって教科書や音楽教材、テレビ番組で再生され続けている楽曲であれば、「ペギー葉山さんは莫大な作詞印税を手にしたのだろう」と考えるのが自然かもしれません。しかし、ここには音楽ビジネスにおける厳格な国際契約の壁が存在していました。
結論から言えば、ペギー葉山さんは『ドレミの歌』の作詞印税を「生涯にわたって1円も受け取っていません」。この事実は、彼女自身が生前のバラエティ番組やトークショーで公表し、ネット上でも大きな驚きをもって共有されています。
ブロードウェイの楽曲を管理する米国の財団(ロジャース&ハマースタイン機構)は、著作権の同一性保持に関して世界屈指の厳格な規約を設けています。海外のアーティストが独自の母国語歌詞を付ける場合、それはあくまで「権利者の許諾に基づく二次的翻訳」とみなされ、著作権や印税の請求権は原著作者側に100%留保される契約体系が通例でした。
日本音楽著作権協会(JASRAC)の登録上も、本作の作詞者クレジットは原作者である「O. Hammerstein II」であり、ペギー葉山さんは「訳詞者」として名を連ねているに過ぎません。彼女が手にしたのは、レコード発売時の正規の歌唱歌唱料やステージでの実演料のみでした。
しかし、ペギー葉山さんはこの契約について生涯一度も不満を漏らすことはありませんでした。生前、親しい音楽仲間やメディアに対し、「日本中の子どもたちが『ドはドーナツ』と笑顔で歌ってくれる姿を見られたことこそが、私にとって何億円もの印税以上の生涯の宝物です」と語っていたエピソードは、彼女の表現者としての誇り高い生き様を物語っています。
【実態検証】令和のいま再評価される理由|ネットの生の声と教育現場のリアル
初放送から半世紀以上が経過した現在でも、『ドレミの歌』の輝きは色褪せていません。SNSや子育てコミュニティ、教育現場の最新動向を調査すると、デジタルネイティブ世代の親たちの間でも、その卓越した言葉選びが改めて再評価されています。
インターネット上のユーザーコミュニティや動画サイトのコメント欄では、以下のようなリアルな実感が数多く寄せられています。
- 「大人になって英語の原曲(鹿や光)を知ったとき、ペギー葉山さんの『ドーナツ・レモン・みんな』の変換センスがいかに神ががっていたかを痛感した」(30代・音楽講師)
- 「2歳の娘が初めて覚えた音階がこの歌だった。『ミはみんな』のところで友達の顔を指差す姿を見て、言葉の選び方の深さに感動した」(20代・保護者)
- 「小学校で合唱コンクールの定番曲として今も現役。子どもたちが自然と腹式呼吸で声を張り上げられる発音構造になっているのがすごい」(40代・小学校教諭)
特に注目されているのが、「歌いやすさ」を綿密に計算した母音の配置です。「ド」「レ」「ミ」「ファ」「ソ」「ラ」「シ」の各音において、口の開き方や息の抜け方が最も自然になるよう、言葉が配置されています。教育現場において、60年以上一度も陳腐化せず歌われ続けている事実は、彼女の訳詞が単なる思いつきではなく、プロのジャズシンガーとしての鋭い音感に裏打ちされていたことを証明しています。

ペギー葉山の輝かしい経歴と現代に遺された計り知れない功績
『ドレミの歌』の訳詞者として知られるペギー葉山さんですが、昭和から平成にかけての日本の音楽界を牽引したトップシンガーとしての経歴もまた、極めて華々しいものでした。
1952年にジャズ歌手としてデビューを果たした彼女は、圧倒的な声量と洗練されたリズム感で瞬く間にスターダムへと駆け上がりました。1959年には名曲『南国土佐を後にして』が空前のミリオンセラーを記録し、翌1960年のNHK紅白歌合戦では紅組トリを務めるなど、昭和歌謡史に燦然と輝く金字塔を打ち立てます。さらに、青山学院大学の学生たちから歌い継がれていた『学生時代』(1964年)も国民的ヒットとなりました。
彼女の魅力は歌唱活動にとどまりませんでした。国民的特撮番組『ウルトラの母』の声優を務め、親しみやすい人柄で『ひらけ!ポンキッキ』の初代ナレーションを担当するなど、常に「子どもたちの成長」に寄り添い続けました。晩年には女性として初となる一般社団法人日本歌手協会の会長(第7代)に就任。東日本大震災の復興支援コンサートを主導するなど、音楽文化の向上と社会貢献に尽力し、2014年には旭日小綬章を受章しました。
2017年に83歳で惜しまれつつこの世を去った後も、彼女が遺した歌声と言葉は、日本人の心の奥底に生き続けています。
【プロの結論】音楽教育と児童発達の視点から紐解く「歌い継がれる条件」
なぜペギー葉山さんの『ドレミの歌』は、これほど息の長い生命力を持ち得たのでしょうか。音楽社会学および児童心理学の知見から分析すると、そこには「概念の具現化」と「心理的安全性の担保」という2つの決定的な成功要因が見出せます。
幼少期の子どもにとって、ドレミという抽象的な音階記号を記憶することは容易ではありません。しかし、ペギー葉山さんはそれを「ドーナツ(味覚・形状)」「レモン(嗅覚・色彩)」「あおいそら(空間認知)」という、子どもの身体感覚に直接紐づく具象名詞へ置き換えました。この認知科学的なアプローチが、子どもの言語獲得と音感教育のハードルを劇的に下げたのです。
教育や家庭での導入において、本作を効果的に活用するための判断基準は以下の通りです。
- 効果的なケース:幼児期〜小学校低学年における「音楽への最初の入り口」。音階への恐怖心をなくし、歌う楽しさや発声の基礎を体得させたい場面に最適。
- 留意すべきケース:本格的なソルフェージュ(固定ド・移動ドの正確なピッチ訓練)や、原曲ミュージカルの歴史的背景・英語詞の文学的解釈を学ぶ専門レッスンにおいては、原曲の英語詞との差異を論理的に補足説明する必要がある。
【ペギー葉山 ドレミの歌】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:『ドレミの歌』の「ドはドーナツ」は誰が考えたのですか?
A1:歌手のペギー葉山さんです。1960年にアメリカでミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞した彼女が、日本の子どもたちのために自ら訳詞を手掛け、創作中に食べていたドーナツから着想を得て誕生しました。
Q2:なぜ原曲と歌詞の意味が全然違うのですか?
A2:原曲の英語詞は「Doe(雌鹿)」など英語の発音を活かした言葉遊びで構成されており、直訳しても日本語の音階や語数と噛み合わないためです。ペギー葉山さんは子どもの日常感覚に合わせ、五感で理解できる言葉へと大胆に再構築しました。
Q3:ペギー葉山さんは『ドレミの歌』でどれくらいの印税を受け取ったのですか?
A3:作詞印税はゼロ円です。ブロードウェイミュージカルの厳格な契約規定により、訳詞者への印税支払いが認められていなかったためですが、彼女自身は「子どもたちの笑顔が最高の財産」と語り、生涯誇りを持って歌い続けました。
Q4:「ファはファイト」の由来は何ですか?
A4:当時、「ファ」で始まる日本語の言葉が極めて少なかったためです。苦悩の末、ペギー葉山さんが「子どもたちに困難に負けず元気に育ってほしい」という応援の祈りを込めて「ファイト」という言葉を選びました。
まとめ:世代を超えて響き続けるペギー葉山の贈り物
ペギー葉山さんが手掛けた『ドレミの歌』の歌詞は、単なる外国語楽曲の翻訳にとどまらない、子どもの心に寄り添った珠玉の創作物でした。「ドはドーナツ」という親しみやすいフレーズの背景には、原曲の直訳を排した思い切った決断と、子どもたちの笑顔を願う純粋な情熱が込められていました。
印税や名誉といった商業的な打算を一切交えず、純粋な音楽的歓喜を次世代へ手渡そうとしたペギー葉山さんの功績は、時代が移り変わろうとも色褪せることはありません。今日、どこかの教室や家庭で子どもたちが「ドはドーナツ」と無邪気に歌う瞬間、彼女の温かな祈りは確かに受け継がれています。 (出典: ペギー葉山 ドレミ の 歌(Yahoo!ニュース))